悪意
けものフレンズ2をTwitterで検索したら「けもフレ2 悪意」という予測変換が出てきました。これにはさすがにビックリ、検索したところどうやら第6話のかばんちゃん回を含め、けものフレンズ2に悪意を感じるといった内容がツイートされているようです。
けものフレンズ2の第6話は1期の主人公かばんちゃんと同じく1期に登場した博士と助手が登場した回。1期で見たかばんちゃんとはだいぶ容姿や声も変わっていて、1期の冒険からだいぶ時間が経過したことが伺えます。
そんな時間経過によってかばんちゃんは人が変わってしまったのか、海沿いに大きなセルリアンが出現する理由と海底火山のことに気付かないのはどうなのかという意見も見かけました。キュルルが気づくことによってキュルルの主人公として役割やヒトらしさを強くする意味合いがあったかと思いますが、それはつまりかばんちゃんが気づかないことを意味していて、それは違うのではと。
またラッキービーストを「これ」と呼んでいることにも違和感があって、このかばんちゃんは本当にかばんちゃんなの?という疑問の声があがるぐらいに2期に登場したかばんちゃんは私たちが知っているかばんちゃんとはかけ離れた存在でした
こうした指摘はよくわかるし、同意する点もありますが、それでも悪意は感じなかった。けもフレ2を批判する気持ちもわからないわけではないので批判を批判する気はないですが、けもフレ2はけもフレ2で面白い点もあって、そこを見ていけたらなと思います。
突っ込みたいところがあるのは分かるし、疑問に思うところは突っ込んでもいいとは思うのだけど、悪意を持って突っ込むはやっぱり間違っている。
制作陣が悪意を持ってけもフレ2を作っていると感じてしまうのは非常に残念な形だけど、そう感じてしまったのならしょうがない。でもだからといって悪意を持ってけもフレ2を攻撃してほしくない。
けもフレは平和な世界。けものはいてものけものはいない。そうした世界観があったはずなのに、それも忘れて炎上させてしまうのはとても悲しく、それはきっと誰も願ってはいないと思います。
みんなが笑って見られる世界はもう来ないのだろうか。
© けものフレンズプロジェクト
追記
けものフレンズ2が最終回を迎えた。その最終話を見て多くの人は悪意を再び感じた用だ。そして私は今回も悪意を感じ取ることはなかった。しかしなぜこうまで皆は悪意を感じるのだろう・・・と少し疑問に思っていたが腑に落ちる答えはとあるブログで発見した。
前作が「他者による絶対肯定の物語」であったとすれば、本作はその対極にある「孤独と自己肯定の物語」。
(中略)
前作が暖かい奇跡だったからこそ、その反動として本作の冷たい現実が際立つ。
けものフレンズ2は前作「けものフレンズ」とは対極の存在。だから前作を快と感じていた人はその対極の作品になったけもフレ2を不快と感じたのだ。これこそが悪意の正体かもしれない。前作けものフレンズを負けない作品作りに挑んだ2の制作陣。しかし1期を変に意識しすぎたのかもしれない。1期とは違うけものフレンズを見せたかったのかもしれない。そうして彼らなりに挑んだ結果、視聴者が求めるけものフレンズ像とはかけはなれてしまった。
私は2期は2期で面白い要素があったと思うし、1期も2期も好きだ。もちろん不平不満がゼロというわけではないし、2期最高と絶賛する気もない。ただ2期には2期の面白さが確かにあったのだ。それをもっとうまく言葉で説明できたなら、、、と思いながら追記終わり。