平服=略礼服
「平服 意味」そう調べると検索結果には「日常の衣服。ふだんぎ。」と出てくる。
しかし、「平服にてお越しください」という一文になると、
平服は普段着ではなく略礼服(スーツ・ワンピース等)のことだと言われる。
なんでだよ。
いつから平服は普段着を意味しなくなったのか。
この平服の悩みはいつの時代もあるようで、
ヤフー知恵袋には2004年というサービス初期から平服について質問している人がいる。
会社の先輩に初めて披露宴に招待された22歳男性です。少人数の会社で、同年齢... - Yahoo!知恵袋
2004年には平服=スーツという認識が存在している。
いつの世も同じ悩みを持つ人はたくさんいるってことだね。
平服とお別れ会
「平服」という言葉が使われる一つに「お別れ会」がある。
お別れ会で「平服」という言葉が使われるのには事情もある。
2000年に書かれた「お別れ会について」の記事。
ホテルで行われるお別れ会は「喪服を避け平服」とある。
ホテルで「お別れ会」の意味
ホテルでの「お別れ会」は、ホテル側が線香や喪服着用を好ましく思わないために、宗教色のない形式をとることが多い。「お別れ会」では故人の冥福を祈る場であるとともに、親交のあった方々の集いの場を提供する。ただしホテルで式を行う場合には、条件がもうけられている。
(1)館内での表示は「偲ぶ会」「お別れ会」等と表現し、「葬儀」の名称を避ける。
(2)祭壇は花祭壇などにして白木を用いない。
(3)遺体の安置はしない。
(4)読経、焼香でなく、献花とする。
(5)参列者・主催者ともに喪服を避け、平服を勧めている。
などがホテルでの「お別れ会」を行う場合の共通の条件といえる。
葬儀場ではないホテルで線香や喪服は好ましくない。
だから宗教色のない形式をとり服装についても「平服」を指定する。
しかしながら、この平服は結局のところスーツを意味している。
なぜなのか。
さらに遡って、1997年に行われたお別れ会について。
故人の意志で葬儀はおこなわれないが、無宗教形式の「お別れ会」が2月24日、午後5時から、地下鉄丸の内線新宿御苑前の近くの大宗寺でおこなわれる。「来るものは拒まず」が埴谷氏の原則だったから、読者の参列ももちろん大丈夫だ。平服でもかまわないということだが、心配なら、喪章や黒いネクタイを締めるのもよいかもしれない。
お別れ会=平服というのは1997年からあるようだ。
様々なお別れ会と服装
今年に入ってからだとyoutuberのエイジさん、そしてジャニーズ創設者のジャニーさんのお別れ会がありました。
両方とも服装について「平服にてお越しください」という一文がありました。
アバンティーズ エイジさんのお別れ会
「アバンティーズ エイジ お別れの会」のご案内 | UUUM(ウーム)
Youtuberアバンティーズのエイジさんのお別れ会では、
「平服にてお越しください」のあとに、
「私服、制服問わず、皆様のお気持ちにお任せいたします」と一文が付け加えられていました。
平日開催、ファン層が中高生というのもあってどの服装でも来やすい一文を加えたのだと思います。
ジャニーさんお別れ会
ジャニーさんお別れ会 祭壇には田原俊彦との思い出の数々|NEWSポストセブン
ジャニーさんのお別れ会でも「平服にてお越しください」とありましたが、
当日は様々な服装の方がいました。うちわを持っている方も。
平服警察という言葉まで出てくるほど、それこそ喪服から私服まで。
水木しげるさんお別れ会
2016年には漫画家の水木しげるさんのお別れ会があった。
この時は、さかなクンさんの帽子が話題にもなりました。
この水木しげるさんのお別れ会には一般のファンも参列され、その時の写真がありますが、やはり様々な服装です。
水木しげるさんお別れ会 著名人ら8000人参列:朝日新聞デジタル
私立恵比寿中学 松野莉奈さんを送る会
2017年には急逝した私立恵比寿中学の松野莉奈さんの送る会がありました。
<私立恵比寿中学 松野莉奈さんを送る会>松野莉奈さんを送る会には多くのファンが集まった ― スポニチ Sponichi Annex 芸能
松野莉奈さんの送る会の服装については「告別式ではございませんので当日はご自身のお好きな服装でお越しください」とアナウンスされていました。
送る会をしたパシフィコ横浜は、エビ中が何度かライブを行っている。そのため「お好きな服装」という言葉を選んだようにも思う。
服装に気を使わず、気軽に来てほしいという想いが強いのではないか。
大杉蓮さんのお別れ会
2018年には大杉蓮さんのお別れ会。
俳優・大杉漣さん「お別れの会・一般献花」に慎んで行ってまいりました。 | 日本最大級の編集プロダクション | アーク・コミュニケーションズ
こちらも喪服から私服まで様々。
「平服にてお越しください」は謙遜と敬意の精神文化
2003年の記事で私と同じように「平服」について迷うよね~という記事を見つけた。
以下の記事は結婚披露宴などのお祝いの席での「平服」について語られている。
上記の記事を読んでいろいろと腑に落ちたので引用しながらまとめていきたい。
「平服」とは、辞典で引けば「普段着、平常着の衣服」とある。その言葉通りに受けとめれば、晴れ着に対する普段着、平服と云うことになるのだろうけれども、それでは結婚披露宴に普段着で出席して良いものであろうか、と思うのは誰しも同じである。
まったくその通りで、晴れ着、もしくは喪服に対する言葉として「平服」は使われている。
日本の会話では、結論をはっきりとは言わずに、お互いを理解しなければならない。まだるっこしい様に思えるかも知れないが、始終このルールにのっとり会話するものにとってはそれ程難しいことではないし、結論を言うことなしにお互いが理解し会えれば、はっきりと結論を伝えるよりも、その効果は数倍するのである。
日本語は表現や応答が曖昧で理解するのは難しい。全くその通り。
そして著者は「平服にてお越しください」について以下のように考えた。
私は、
「平服でおいで下さい」
と言うのは、
「私は大した宴を催すことができませんので、服装には気を使わないでおいでください」
の意ではないかと思う。
「大した宴を催すことはできない。」
というのは日本の美徳である、謙遜・謙譲である。自分がへりくだり、相手には気を使わないようにという気遣いが感じられる。受ける側では「平服」を真に受け、普段着で出席して良い訳ではない。
あくまでも主催者に対して、
「大した宴ではない、とはとんでもない。そのような立派な席には、私などは晴れ着を着て出席させていただきます。」
と敬意を表して晴れ着で出席すべきではないかと思う。まだるっこしいようだけれど、お互いがへりくだり、相手を揚げようとする、日本の大切な精神文化が感じられるように思われる。
お別れ会についても同じ。
多くの人が来るお別れ会で、
「葬儀ではないから、服装には気を使わないで下さい」という主催者側の謙遜。
そしてそれを受ける側、行く側の私たちは
「葬儀ではないにしても故人を偲ぶ場所、落ち着いた服装で行きますよ」という敬意。
『お互いがへりくだり、相手を揚げようとする、日本の大切な精神文化』
この精神文化が「平服にてお越しください」という一文に見え隠れしている。
尊重・尊敬の平服
同じく2003年の記事。
そんな日本の教会でやる結婚式や披露宴の案内でも、最近はよく「どうぞ平服でお越しください」と案内状に書いてあったりする。で、「そうか平服か!」と思って、普段着で行ったりすると「なんだ、こいつは?」という目で見られる。そういう失敗したことありませんか? 「平服」ってのは上記のドレス・コードでいうと「インフォーマル」に近いけど、「平服」とか「インフォーマル」とか言っても、普段着のことではないのです。「『タキシード』とか『着物』とか、いわゆる『礼服』で来ることはないですよ」という意味です。だから、みんなスーツでやってくる。
インフォーマルってのは女性ならワンピース・スーツなどにアクセサリー。男性ならスーツにネクタイなどのこと。
じゃあなんでこういったドレスコードが存在するのか。
なんで、そういうドレス・コードというものがあるのかというと、やはり「お互いに失礼にならない」、あるいはもっと積極的に「お互いに尊敬の気持ちを伝え合う」というものではないかと思います。また、「その場の雰囲気を大切にする」ということもあります。
マナーというものはなんでもそうではないでしょうか。「わたしはあなたを大切に思っている」「わたしはこの場を大切に思っている」という尊重・尊敬の気持ちの表現です。
お互いのことを想い合う、尊重・尊敬としての表現がドレスコード。
さらにこう続く。
じゃあ、なんで普段着よりもスーツが、スーツよりも礼服のほうが、相手への尊重になるのか?
それはその人が生きている社会によるわけです。西洋文化の影響を受けている多くの地域ではスーツが多かったりするが、日本では羽織袴でもいいし、スコットランドではスカートのようなキルトを着たらいいし、民族によってはそれこそ背中もおなかもあらわになっていても、その民族以上の中では盛装だ、というかっこうもあるでしょう。
たしかに、なにが失礼で、なにが人や場への尊重の表現になるか、ということは、あなたが生きている場所の伝統や文化によるものが大きいので、絶対にこれだ、というものはありません。
しかし、共通しているのは、「人に敬意を示し、その場の雰囲気を大切にするために、人は服装を選ぶ」ということなのです。
それを守れず、ラフな格好でやってくるということは、人や場所の雰囲気に対して失礼というか、要するに「人をナメている」ということなのです。
言葉に熱が入っているのが伝わってくる内容だが、
『なにが失礼で、なにが人や場への尊重の表現になるか、ということは、あなたが生きている場所の伝統や文化によるものが大きいので、絶対にこれだ、というものはありません。』
絶対にこれだ、というのはないけれど、人に敬意を示し、雰囲気を大切にするために、人は服装を選ぶということを忘れてはいけない。
こうして考えると平服=スーツというのは日本の文化の一つ、そして相手への思いやりとして存在する考え方なのである。
平服de礼装
もう一つ、「平服」についてしっくりきたのがこちら。
タキシード会議の楽しい紳士礼装礼服フォーマルウェアの着方がわかる
平服 へいふく:ふだん、家にいる時、仕事をしている時に着る服。カジュアルウェア、ビジネススーツ等、普段着の事。
礼服では ありませんが、礼装をする事は出来ます。パーティの案内状に、平服でとあっても平服そのままでは、いけません。「平服de礼装」をして、お出掛け下さい。突然のお誘いのパーティにも、「平服de礼装」は簡単に出来ます。
「平服de礼装」。
これだ!
これか?
これら3つの記事はお祝い事に対しての「平服」について書かれているけれど、冠婚葬祭すべてに当てはまるだろう。
平服と同調圧力
平服についてTwitterを見ると同調圧力が強く、平服はスーツ!ワンピース!普段着はダメ!と声を大にして言う人が多い。
実際、平服=略礼服という認識があるのは分かる。
友人の冠婚葬祭で「平服」と言われたらスーツを着ていくことだろう。
しかし「お別れ会」と「ファン」という組み合わせを考えると、
平服という言葉は「喪服でも私服でも想い想いの服装で来て下さい」という意味合いの方が強く、ファンもまた想い想いの服装でお別れをすることが大事だと思うのである。
喪服でお別れしたい人もいれば、推しTシャツを着てお別れをしたい人もいる。
そうした気持ちをそれぞれが抱いて参加するのがファンとしてのお別れ会の形。
もちろんコスプレや過度に派手な衣装は場の雰囲気を壊しかねないのでどんな服装でもいいってわけではないと思うけれど。
ファンやファン以外の人があれは平服じゃないといった論争はちっぽけなことで、大切なのはお別れをしたいという気持ち。
その気持ちがあれば自然と服装は落ち着いたものになるだろう。
思いやりとこれから
平服は謙遜と敬意、そして尊敬と尊重によってバランスを保ち続けている便利な言葉。
11月にある京都アニメーションの「お別れ そして志を繋ぐ式」にも「平服にてお越しください」という一文がある。
しかし英語表記では「Please come in ordinary outfits.」とある。
「ordinary outfits」をGoogle翻訳では「普通の衣装」。
平服を普段着と訳すなら間違ってないのだが、迷う言葉。
いずれにせよ、京アニのお別れ会も喪服から私服まで様々な服装の方がいることだろう。
本来、11月3日、4日は京アニのイベントが行われる予定だった。
そのために場所も確保していて、今回のお別れ会はその場所で行われる。
本当ならこの場所はみんなが笑顔になる場所だった。
本来のイベントで着て行こうと思っていた服装で来る人もいるかもしれない。
それがその人なりの弔い方なのだと思う。
そしてこれまた平服じゃない!とTwitterで見かけるのだろう。
平服論争はこれからも続くのだ。
だけど大事なのは敬意、尊敬、尊重といった相手への思いやり。
その結果として服装があるわけだが、どの服を着るかはその人次第であって、
他人がとやかく言いすぎるのは、良くない。
11/1追記
京アニのお別れ会「お別れ そして志を繋ぐ式」ですが、
平服のことで問い合わせが多かったのか、
「華美な服装や、コスプレをされてのご来場はお控えください」の文言が追加されました。
このことからも、落ち着いた色の服装なら問題ないでしょう。